花ゆめOBのエッセイコミック3冊


 エッセイマンガについての論考を書けと,T.Kouyaから依頼(脅迫?)された。確かに私はそこそこエッセイマンガは読んではいるものの,そんなに多くを語る程の思索を重ねたことはない。以前,高橋由佳利小田空の作品について書いた程度である。
 仕方がないので,その他のエッセイコミック,特に「花とゆめ」とゆかりの深い作家の作品を簡単に紹介し,お茶を濁すことにする。まとまった論考は11月までには仕上げると宣言している「ゴー宣 戦争論3」のメディアレビューでT.Kouyaが行う筈であるので,そちらを参照されたい。もっとも有言不実行の不真面目な奴であるから,あまり期待しない方がよかろう。老婆心ながら,一言付け加えておく。

 さて,現在の作家は,小説家も漫画家も,大概,出版社主催の新人賞に応募し,編集者やプロ作家の審査員に認められてプロデビューする。但し,漫画の新人賞は,大手出版社の場合,自社の雑誌単位で行われることが殆どで,小説のそれよりも格段に賞の数が多い。それだけ漫画の読者人口が多いという証であるが,その分,日本の場合は漫画雑誌の色分けがタイトで,主たる読者の年齢構成による色分けが明瞭である,という特徴がある。新人発掘に熱心なのは,常にフレッシュな作品を求められる少年誌・少女誌である。特に後者では,せいぜい20歳台前半までがデビューの限界と言われており,高校在学中に入選してしまうことも珍しくない(最近はあまり聞かないけど)。以下,少女漫画家にのみ焦点を絞って話を進めていく。
 こうしてデビューした少女漫画家は,プロ作家としての経験を少女誌で積んでいくことになる。読者の新陳代謝が激しい分,デビューした少女誌における漫画家の寿命もそれに比例して短くならざるを得ない。まだちゃんと統計を取った訳ではないが,データを眺める限り,大体5年程度だろう。それを越えて人気を獲得し続けるとなると,優れたストーリーテラーであるか,常に絵柄を変化させていくことができるか,最低この2要素のどちらかを持っていなければならない。「花とゆめ」に限っていえば,前者の代表格が美内すずえと和田慎二,後者の代表格が日渡早紀だろう。まれにどちらもこなす別格大御所,魔夜峰央という存在もあるが,常人に真似のできるものではない。大概は本誌で活躍した後,別冊・増刊号へとシフトしていくか,他社の雑誌に移動する,ということになる。
 つまり,少女誌でデビューした漫画家は,大概そこを卒業してOB(OGというべきか)となってしまうことになるのだ。ただ,少子高齢化が急速に進む中,このような漫画家の活躍場所の移動が今後も維持できるかどうかは不明である。ことに漫画というジャンル自体が先細りの様相を呈しているから,20世紀末にデビューできた漫画家は幸せな余生(失礼)を送ることができる最後の世代となる可能性もある。
 そんな少女誌「花ゆめOB」の中で,現在でも活躍している元気な漫画家のエッセイを紹介することにする。

神坂智子「智子流 ちょっと危ない世界旅」潮出版社, 4-267-90370-0, \533
 つい最近まで,この人は花ゆめ出身者とばかり思っていたが,実際には1973年に週刊少女コミック(小学館)でプロデビューしたようである。花ゆめ本誌で活躍していたのは1974年8月号(創刊当時は月刊だった)から1986年9号まで。ちょうど私が花ゆめにはまり出す前年にOBとなってしまったので,すれ違いとなってしまったのである。この時期,1985年には角川書店で「あすか」が創刊されており,白泉社はその影響を受けた。つまりは大御所と呼ばれる作家を引き抜かれたのである。この人も1980年代後半から「あすか」で連載を持っている。その後はWings(新書館),プチフラワー/フラワー(小学館), コミックトム/トムプラス(潮出版社)と活躍の場を広げた。執筆作品についても,日本や西欧の歴史に題材を求めたりとかなり広い「芸域」を持っている。詳しくはこちら(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8295/kousaka/tomoko.html)のファンサイトをご覧頂きたい。
 本書はそんな著者の芸域の広さを支えた一端を示してくれる,世界旅行のエッセイコミック短編をまとめたものである。これの長編バージョンとして「夢はるか桜蘭王国」があるので,本書で興味を示された方はこちらもお勧めである。
 著者の旅行は,在住の知人に案内して貰ったり,旅行代理店のツアーに参加したりと,「旅行先でわざわざ非日常的スリルを求める万有とは無縁」(岡崎由美の解説より)なものである。ドキドキハラハラの物語ではないが,旅先の情報を的確に伝えるためには,身の安全を確保した方がイイに決まっている。但し,行き先は西欧とか合衆国といった先進国は少なく,ネパール,モンゴル,イラン,サウジアラビアとアジアから中近東にかけての,あまり人気のありそうもない地域である。それ故に,自分でそーゆー不便そうな地域に行くつもりのない,私のようなズボラな読者にはありがたい情報が詰まっている。
 掲載雑誌は○田○作先生の神通力も及ばず廃刊となってしまった。願わくばこの続きをどっかで読みたいものであるが,さて,引き受け手はどこになるのか? それが今の関心事である。

坂田靖子「サカタ荘221号室」PHP研究所, 4-569-61991-6, \1350
 まごうことなき花ゆめデビューの作家であり,創刊二年目にデビューしているからほぼ一期生と言える。1975年12号にデビュー作「再婚狂騒曲」が掲載され,その後1978年14号まで本誌で活躍した。
 私は,当然,この人の作品をリアルタイムで本誌でお目に掛かったことがない世代である。が,単行本はわんさと出ていたので,そちらで触れることになった。多分白泉社から出ていた「村野」が最初だったのではないかな。
 この人は文字エッセイもかなりイけている。雑誌に掲載されることもあるし,自身のWebページが出来てからは,毎月のように,竹を割ったような清々しい文章を読めるようになった。誠にありがたいことである。The Internet万歳,Web万歳,サカタヤスコ万歳,である。
 本書は単行本未収録の短編漫画や一コマコメントも収録されているが,大部分は雑誌やWebに掲載された文字エッセイを収録したものである。お値段がちと高めであるが,著者初の文字エッセイ主体本であるから,サカタヤスコファンなら文句言わずに買いなさい,読みなさい。

Dr.モロー「Dr.モローのリッチな生活 3」FOX出版/文苑堂東京店, 4-925148-44-3, \667
 「花とゆめ」という雑誌と十数年つき合ってきて不満なことの一つに,ショート作品に対する扱いが杜撰であると感じることが挙げられる。目次を打ち込んでいると,ショート作品でも,目次に掲載されるものと,されないものと二種類あることがわかる。これは今でも続いており,前者に比べて後者の扱いが「杜撰」であると感じるのはここなのである。勿論,原稿をしょっちゅう落としたり減ページにしたりする漫画家さん(誰とはあえて言うまい)の穴埋めとして急遽突っ込まれる作品は致し方がないのだが,ちゃんと予定通り掲載されているはずのショート作品でも,目次掲載なしのケースが見受けられる。そこにショート作家を育てる姿勢が見えないと言っては失礼になるのだろうか。
 さてDr.モローである。この人の場合,新人賞に応募してデビューした訳ではなく,スカウトされて花ゆめ本誌に執筆することになった珍しいケースである。しかし活躍期間はごく短く,本誌に掲載されたのは
1989年19号,1990年2号/4号/5号/9号/11号/12号/20号,1993年11号と,ほぼ二年間に限られる。純粋ギャグマンガ「渡会君」シリーズを描いていたが,その絵柄は少女漫画的とも少年漫画的とも言いかねる記号的なものである。初めて見た時にはどーゆー経緯でこの作品が掲載されたのが全く分からず,しかもあまり面白くなかった(失礼)ので,それ程記憶に残らなかった・・・そう,コミックマーケットに参加するようになるまでは。コケカタログを購入するようになって,この奇妙な漫画家が10万部作家(笑)であることを知ったのである。しかもそれは大変笑えるエッセイ漫画であった。
 で,本書である。コミケカタログに毎回掲載される穴埋め漫画(という言い方はもう適切でないな)と同じノリの身辺雑記エッセイのうち,1997年から1999年掲載分をまとめたものである。ちなみに「」は1991年〜1993年分, 「」は1994年〜1996年分をフォローしている。どれも面白いのであるが,連載開始から十年も経つと,さすがに記号的な絵とはいえ表現力は格段に上がっており,やっぱり最近のものが一番出来がよい。どう控えめに見ても,在庫を切らさずに継続して販売が期待できる出版社ではないので,興味を持たれた向きは今の内に三冊とも購入しておくべきである。コミケでは一年単位でこれを切り売りしているが,超大手人気サークルだけに,新刊を手に入れるのは大変な苦労であるし,単行本にまとめられた分は,しばらく再販されることもないだろう。
 このエッセイの面白さはどこから来るのか。それについてはT.Kouyaの論考に譲るが,本人からの受け売りによれば,「実在の事物へのポインタがある」という要素が大きいのだと言うことである。ポインタ(pointer)とはプログラミング用語であるが,簡単に言うと,「実際のデータが格納されている場所を指し示すもの」という概念である。つまり,実在の事物のカリカチュアとしての記号的キャラクタは,オリジナルへ「ポインタ」であり,オリジナルの事物を読者に連想させることによって,漫画内での言動の面白さが増幅されるためである,そうな。この説は大してオリジナリティのあるものではないようだが,これを採用すれば,花ゆめに掲載された渡会君シリーズがつまらなかったのも,このポインタが全くなかったからだ,という説明が出来ることになる。正しいかどうかは保証の限りではないけれど。


by Takayosi Kengo

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