元ヒッキー推薦,ドライな映像ここに極まれり

りんたろう・川尻善昭・大友克洋,
迷宮物語 Manie-Manie,
角川ビデオ

 私にはヒッキーになる才能がある。
 学生時代,築30年にもなろうかという老朽化したアパートの四畳半で,私は引きこもり状態になったのだ。大学には行きたくない,サークルには顔を出したくない,バイトにも行きたくない。商店街のパン屋で売っていた,一抱えもあるパンの耳が詰まったビニール袋を30円ほどで購入し,それをもそもそと食しながら,すっかり湿って重くなった万年床に潜り込んで,蚊取り線香の香りを楽しみながらマンガなぞを読んでいた。バブル崩壊直前の狂乱地価の時代,ワンレンボディコンお立ち台(残らず死語だな)が満艦飾を誇っていたご時世に,一人ジメジメと自分だけの世界に閉じこもっていたのである。・・・が,不幸にして,というか,幸いにして,といおうか,高校時代より胃腸が弱く,そんな偏った食事をしていたせいもあってか,やがて腹が痛み出し,出血を伴う十二指腸潰瘍を引き起こした。漆黒の大便を排泄した時,さすがに決心して朦朧とする頭を抱えながら這うように隣り駅の病院にたどり着くやいなや,一目私を見た医者は即座に集中治療室行きを命じた。後で分かったのだが,極度の貧血状態になっていたのである。後は下宿の大家さんやら大学の同級生やらサークルの先輩やら仲間やら母親やらが病院に押しかけてきて,ここに私の短いヒッキー生活は終わりを告げたのであった。
 という訳で,私にはヒッキーになる才能がある。が,体が,特に胃腸系がひ弱であったため,不健康なヒッキー生活には耐えられなかったのである。人生何が幸いするか分かったものではない。人間万事塞翁が馬。
 そんな私も,今では組織の一員として,同僚をたばかり,権限のある上司におべっかを使い,目下の人間を顎でこき使いつつ,自分の失敗は必至に抗弁しつつも,無関係なコンビニやレストランの店員の些細なミスは平気で罵倒できる「正しい社会人・ちょっと嫌な奴バージョン」として日常を生きているのである。しかし,成人するまでに培われてきたヒッキー体質を払拭するには至らず,何かの拍子でポッと水面に顔を出すことがある。それは主に優れた内向的表現と対峙した時である。その特徴は

1. 適度に具象と抽象が混じり合っている。
2. 道義的な押しつけがましさが皆無である。
3. 鑑賞者を傷つけない適度な距離感がある。
4. クオリティが高い。

となろうか。一言で言うと,それなりに意味が解釈できるが無意味できれいな映像が望ましい,ということになる。当然,人に感動や怒りや号泣を誘うような,少年ジャンプ的な熱血度の高いものはその対極に位置するが故に,昔から大嫌いだった。同じ理由で,集英社の「別冊マーガレット」系統の作家も好きではなかった。夢物語であるSFやファンタジーを好んでいたのは,自分のヒッキー体質がそうさせていたのである。
 そのヒッキー体質を久々に萌えさせたのがこの「迷宮物語」である。原作は眉村卓である。この作家についてもあれこれと語りたいことがあるが,ここでは触れない。
 この作品は次の3編の作品から構成される,前編50分という短いオムニバスファンタジーである。DVDパッケージからそれぞれの作品についてのデータとあらすじを抜粋して以下に示す。

ラビリンス・ラビリントス」 監督/脚本・りんたろう, キャラクターデザイン/作画監督・福島敦子, 美術監督・石川山子, 出演・吉田日出子(少女さち)
あらすじ・「あたいの名はさち。お母さんが夕食のしたくを始めちゃうと,猫のチチローネだけがお友だち。あっピエロさんだ。ねえ,ピエロさん。あたいをどこへ連れてってくれるの・・・。」

走る男」 監督/脚本/キャラクターデザイン/作画監督・川尻善昭, 美術監督・青木勝志, 出演・津嘉山正種(ボブ・ストーン)/銀河万丈(ザック・ヒュー)
あらすじ・「彼の名はザック・ヒュー。多くのレーサー達を葬り去った過酷なレースのチャンピオン。だが幾度ものレースで彼の肉体と精神は,すでに崩壊していた。そんな中,レースは開始された・・・。」

工事中止命令」 監督/脚本/キャラクターデザイン・大友克洋, 作画監督・なかむらたかし, 美術監督・椋尾篁, 出演・水島裕(杉本勉)/大竹宏(ロボット444ノ1号)/家弓家正(部長)
あらすじ・「僕の名は勉。アロワナ共和国の工事現場へ派遣された臨時監督。といっても,工事の中止を命令するだけ,簡単な仕事さっ。現地の責任者は失踪したんだと。何やってんのかね,まったく・・・。」

 スタッフの豪華さもさることながら,内容も素晴らしい。一応,あらすじも引用しておいたが,これは殆ど意味を持たない。導入部と終局を飾る「ラビリンス・ラビリントス」も含めて,まず表現したいファンタジーがあって,そこに芸達者の俳優や声優人をはめ込んだ,というだけに過ぎないのだから。その証拠に,話の筋だけ追っていけば,どの作品もアンチクライマックスである。ストーリーの面白さを求める向きには,この作品は退屈なだけだ。映像美と不条理さを兼ね備えた,極めて内向的なこの世界を楽しめるヒッキー体質人間が,己の無力さと向き合うことなく,真にこの作品と戯れることが出来ると断言する。
 一言でこの3作品をそれぞれ私の言葉でまとめると次のようになる。まず「ラビリンス・ラビリントス」は,ぼんやりした少女の可愛さを具現化した「さち」が,観客を物語に引きずり込むための儀式を執り行うだけの作品だ。次の「走る男」は,ズタボロになった精神をひたすら鼓舞して自己崩壊する・・・のみならず,周りも巻き込むはた迷惑な男の物語である。最後の「工事中止命令」は,制御の効かなくなった工事現場におけるサラリーマンのむなしさをユーモラスに描く。どれも寓話どころか,空疎で無意味な物語でしかない。それ故に映像美が光るのである。

 もし,貴方の大事なパートナーにこの作品を見せて,面白いというだけならともかく,感動しているようであれば,用心した方がいい。近い将来,貴方という庇護者を得たパートナーは,日々DVに明け暮れつつ何の経済的活動も行えず,食事を取って寝るだけのダメ人間に成り果てる可能性がある。しかし,胃弱であれば,そうならないかもしれない。まずはそいつの健康度をチェックしてみようではないか。


by T.Kouya

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