打ち砕かれた男のファンタジーをご覧あそばせっ

西炯子,
「ひとりで生きるモン!」,
ISBN 4-19-960206-2,
徳間書店,
2003.1.1 初版.

 すべからく,男というものは,女に対して,ありとあらゆる幻想を抱いている。童貞であれば勿論のこと,妻帯者だって,妻と娘以外の女に対してはやっぱりあらぬ期待をし,コナをかけ,不倫をし,新婚から間もない時期に味わったのと同じ幻滅を繰り返すのである。男は,こと女に関しては,数学的帰納法というものが芯から理解できないものらしい。一度失敗してしまえば,それは可算無限回繰り返されるのである。故に,女性の言う常套句,「男ってバカよね」は正しい。
 幻想の具体例を示そう。これは若い妻帯者ならばご存じだろうが,女性も男性と同じく,髭も生えれば脇毛も伸びるしスネ毛も生える。陰毛があるのはヘア解禁される以前から男性にもよく知られていたが,ビキニラインに収まるように,日夜処理されていることは案外知られていなかったようである・・・昔は,ね。
 何を当たり前のことを言っているのか,と思われるだろうが,いや,実は以前,ある漫画家のエッセイに「ロシアの女性は毛深い。髭も脇毛もある」と驚きを持ってその事実を伝えているのを読んだことがあったのだ。当時は私もウブでバカな若い男だったので,ふーんそんなもんか,と素直に受け入れてしまった。しかし,これはロシア人の女性が特別なんではなくて,個人差や民族の違いはあれ,大なり小なり女性でも毛があるべき処にはあり,アメリカや日本の女性はそれを涙ぐましい努力によって処理されていただけのことなのである。それをこの漫画家はご存じなかったようである。ちなみに,ロシアに限らず,ヨーロッパでは毛の処理をしないのが割と一般的らしい。
 というような事実は,うぐいす姉妹の「けしからぬ話」によって伝えられた。男性諸君は刮目して本書を隅から隅まで熟読し,自身の持つ,女性に対する下らぬ幻想を打ち砕いておくがよろしい。ちなみに中田雅喜「純情ももいろ日記」を併読しておくと,完全消滅すること請け合いである。この機会にお勧めしておく。副作用として「勃たなくなる」かもしれないが,それは自分の責任でなんとか克服して頂きたい。で,この2冊を読んだお前はどうなのかって? いやっ,それはっ,まあ,その,暫くは,こう,あれですよ・・・。
 いやっ,それでっ,西炯子(にし けいこ)でなのであるっ。デビューしてからもうかなり経つのではないだろうか。秋月こおのJUNE小説(という言い方は古いかなあ),フジミ交響楽団シリーズのイラストを描いている人だと,寿猫から聞いたのが最初だろうか。で,そのうち新書館の漫画雑誌Wingsに連載を開始したのを少し追いかけ,気が付くと,購読したての,プチフラワーから衣替えした小学館の漫画雑誌,フラワーズ(月刊)に掲載されている連作短編を読んでいる。以前に,弱小出版社から創刊された雑誌(すぐ潰れた)にエッセイを書いていたこともあったが,文章もなかなか面白いので感心した覚えがある。どーも量産ができない作家さんのようで(少女漫画家は大抵そうだけど),しかも雑誌や出版社も,プチフラワー&フラワーズを除いて,あちこちに移動して執筆されるので,情報収集がずぼらな私なぞはついつい見逃してしまいがちなのだ。しかし,それだけ玄人である編集者には目をつけられているという証でもある。竹宮惠子のマンガ教室でもまれたというだけあって,構図も色遣いも素晴らしい。彼女の描く人間は,しなやかな細い線で構成され,時に原形をとどめない程,飛んだり跳ねたり仰け反ったり顔面崩壊してしまう。それだけ躍動するキャラクターが,白っぽい画面でストーリーを展開するのだから,面白くないはずはない。初期の短編などにはちょっと純文学ぽい生硬さがあって好きになれなかったが,最近は(年齢は定かではないが恐らくは)30を超えたせいか,開き直ったギャグが散見され,時にエキセントリックな台詞も飛び出し,読者の横隔膜を激しく痙攣させたりもする。
 本書は,小学館のパレット文庫(若い女性向け小説シリーズ)に挟まれている栞に連載されている四コママンガを集めたものである。ギャグ四コマだけあって,長いストーリーマンガではちらほら現れるエキセントリックギャグが,1ページ2作品という濃度で炸裂しまくっている。三十路過ぎのすれっからし独身中年男のこの私が,寂しいアパートの一室で声を立てて笑ってしまったのである。ギャグのタイプは新田理恵の「×(ペケ)」や駒井悠の「そんなやつぁいねぇ!」に似ているが,キャラクターの躍動感という点ではこの二人よりずっと上であると認めざるを得ない。時折差し挟まれる,エッセイというか,落書きというか,魂の叫び書道というか,それも素晴らしくナイスである。
 世の中の事象は,様々な軋轢を生じさせつつも確実に進化している。ギャグはその最たるモノである。今,笑いを取るためには,ギャグに一定の真実味が含まれている必要がある。それは客観的事実から来るものでも、自身の本心から来るものでも良い。ギャグに限らず,なにがしかの主張をメディアを通じて発しようと思えば,真実味のある内容でなければならないのだ。それは必ずしも「真実」とは限らないが,客の側の知的レベルが上がっているため,100%嘘の内容では受け入れて貰えない。真実を感じさせる味付け,即ち真実「味」は絶対に必要なのである。明石家さんまもダウンタウンも,完全なおべんちゃらで笑いを取ってやしない。TVタックルで,時折たけしが発言してパネリスト全員を脱力させてしまったりするが,あれは一面の真理を突いているからこその脱力なのである。つまんないダジャレは編集段階でカットされるか,全員から無視されるだけだろう。
 男性諸君よ,女性の真実から目を反らしてはいけない。それは即ち,女性の真実が述べられたギャグを見逃すことに他ならないのだ。見たまえ。日夜ムダ毛処理に尽力するその崇高な労働の姿を。男に抱かれつつ,この男の経済力を怜悧に計算している暖かくも冷たい肉体を。西炯子のこの作品集を読み,笑うことが出来たら,そのうちの幾つかは,女性の真実を含んでいるが故の作用なのである。巻頭の「はたらくお姉さん」カルタの解説で,彼女は次のように述べている。 

 『童貞に関心があり,ネットのチャットでその子らを狙って話す。(中略)15歳(童)がしきりにオナニーについて聞くので「エロいもんを見て抜くだけ。あんたと同じ」と淡々と説明したら期待はずれだったらしく,出てってしまった。AVみたいなのを想像してたんだと思う。せっかくお姉さんがMYオナニーの真実を語ってやったというのに。』

 ・・・The Internetでも真実をあけすけに語ってしまう西先生。素晴らしい。これを聞いて,笑えなかった童貞君,くじけることはないっ。君は真実にも触れたが,生の西炯子ギャグの本質にも同時に触れたことになるのだ。この出来事を土台に,どんな女性の真実と出会おうとも笑い飛ばし,童貞を捨てるチャンスがあれば必ず「勃つ」ことが出来るよう,精神の鍛錬を怠るでないぞ。
 でも蛇足ながら,三十路過ぎたら「お姉さん」はないんじゃないでしょうか?西先生。と,同じく三十路過ぎの「おじさん」は思います。 


by Takayosi Kengo

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