小田の空に白い雲が駆けて行った

小田空,
「続・中国いかがですか?」,
ISBN 4-420-22042-2,
創美社(発行)/集英社(発売),
2003.2.25 第1刷.

 高橋由佳利に続く,懐かしのりぼん出身者,第二弾である。・・・という言い方だと,もう既に本人は現役を引退しており,これから語るのは最盛期の思い出・・・という感じであるが,そうではない。高橋にはそんな香りが漂うのだが,小田は違う。そもそも小田空(おだそら)の場合,最盛期って奴を定義すること自体が難しいのである。少女漫画界における週刊少年ジャンプともいうべき,百万部雑誌(2百万部に届いたこともあったっけか?)「りぼん」出身者でありながら,その立ち位置はデビュー時からちょっと変わっていたのだ。私見であるが,小田が存在していなければ,後に「おだのぺーじっ!」というエッセイマンガが誕生することもなく,さくらももこが同じくりぼんからデビューすることもなかったのではないか。ごく狭い思春期世代までを対象とした少女マンガから,いい大人になっちゃった世代まで広く読まれる「女性マンガ」が成立し,そこには身辺雑記的なエッセイも一つのジャンルを形成している,そんな移り変わりの中に自然と細く長い(失礼!)活動を続けている,小田はそーゆー存在なのである。
 小田空は1979年(に,本人のペンネームと同じ,但し性別のみ異なる「空くん」を主人公とした,一言で暴力的にまとめちゃうと「ファンタジー」短編でデビューした。そしてそれがそのままりぼん本誌の長期連載として定着,1984年に完結した。現在ではホーム社から分厚い2巻の単行本としてまとまったものが読める。その後,りぼんオリジナル誌で,エッセイマンガ「おだのぺーじっ!」を不定期に執筆。このあたりから世界遍歴に目覚めたようで,ユーラシア大陸横断という快挙を成し遂げており,イスタンブールで高橋と久々の日本料理を共にし,感激の余りに泣きながら料理の写真を撮っていた,という一場面を記録されちゃってもいる(「目のうろこ」P.114より)。このあたりからは私がりぼんから離れた時期にあたり,暫くは小田空の動向が判然としないのだが,後にまとまった単行本を見ると,YoungYou誌にもぼちぼちエッセイ作品を発表し始めたようである。一条ゆかり御大との愛あふれる交換エッセイなどが楽しい。後に御大もエッセイマンガを執筆することになるが,小田作品の影響もちっとはあるのかなという気がしないでもない。そして,現在,小田は中国(中華人民共和国)の専門家となり,現在も集英社の雑誌や,「旅行人」において中国エッセイをマンガ及び文章にて発表し続けている。
 小田マンガの特徴は,デビュー作以来,あまり作風が変化していないことにある。つまり,変化を強要されるような絵柄でもストーリーでもなかったのだ。絵柄については後述するとして,まずはストーリーの方から語ることにする。
 デビュー作「空くんの手紙」は,ファンタジーという形式を借りてはいるものの,そこに登場する,特に空くんの周りに集う仲間たちは全て著者の分身であり,その言動は著者自身の内面からわき出ていると見受けられる。その意味では,ストーリーマンガではあるけれど,かなり内省的なエッセイに近いものである。
 思春期にありがちの,自閉的な理想世界を表現したこの作品の最終回は,空くんを外界世界へと導く「新聞」を放棄することで,今までの仲間たちとの生活を続けることを決心する,というかなり示唆的な内容で,最初に雑誌でこれを読んだときには,自分がそーゆーお年頃だったこともあってかなりショッキングであった。今から思えばこの最終回は,空くんが自閉的なユートピアに留まることを決意させた代償に,小田空本人は「新聞」を飛び越えてもっとグローバルな実世界を体感すべく世界旅行に邁進する,その決意宣言でもあったのだ。
 小田の絵柄は,一見するとごく初期の高野正子(後に高野まさこ)や,奈知未佐子に近いものに見える。アップが少なく,ロングの視点が多いこと,白っぽい画面構成,3頭身キャラという共通項がある。ために他作家の長編マンガがあふれた雑誌の中では,言っちゃ悪いが「刺身のつま」的な扱いを受けることが多いが,長期に渡って絵柄が古びないという利点があるのだ。
 が,この二人のストーリーマンガと読み比べると,小田のマンガは読みづらいという印象を持つ。それは前者二人に比較して画面の情報量が多いためであろう。私が中学,高校生の頃,女の子が授業中に回す手紙とかに,特段意味もない魚やにゃぁと吹き出しの付いた猫がちまちまと書いてあったりしたものだが,あれと同じギミックが小田作品の隅々に満ちあふれているのだ。読者はそれに視線が誘導され,ついつい寄り道が多くなる。結果,短いページなのに「たくさん読まされた」感じがするのだ。奈知の絵柄が,おとぎ話的なストーリーをすっきりと上品に語る道具として洗練されているのに対して,小田の情報多寡的な語り口は,自分が見たこと聞いたことを正確に伝えるという点では誠実なものであるが,野暮ったくも見えてくる。反面,そこが好きになっちゃった読者には,奈知の作品は速読しやすく物足りなくも思えるのだ。
 さて,この「みっしり詰まった感」はどこからやってきたのだろうか? BSマンガ夜話視聴者なら,初期手塚治虫作品からの影響とか言っちゃいそうだが,時代が離れすぎていて説得力がない。むしろ,小田空がりぼん本誌で活躍していた頃の「おとめチック」的な雰囲気が醸し出すものを具体的に示していると言える。ものすごーく乱暴な言い方を許して貰えば,陸奥A子の作品とも共通するところが大きいのである。つまり,今も現役であるこの二人は,1980年代前半を彩った「おとめチック」の生きた標本なのである。
 この「みっしり詰まった感」は,今回取り上げる「続・中国,いかがですか?」でも健在である。初めて小田空に触れる読者は短いページに詰め込まれた情報量の多さにめげてしまうかも知れない。全く,このデフレ不況下に真っ向から挑むかのような,コストパフォーマンスの悪い作品集である。しかし,旅先で知り得た情報を余すところなく伝えるには,単に写真をちりばめるだけではダメで,こういうアナログ的なマンガという手法が最も適しているということをも知らしめてくれる。読者に対して「読め!」と強要することなく,「私は見たまま聞いたままを余すところなく描いておくから,あとは貴方が適当に取捨選択してね」というメッセージを伝えてくれるところも○である。
 人減らしとコスト削減の圧力が続く昨今,独自の生き方を貫く小田の空に吹き抜ける風は誠に心地よい。このエッセイマンガがofficeYou誌に連載されていた理由は,その辺にあるのかな,とゆー気が,疲れた中年男にはするのですが,さて,いかがですか?


by Takayosi Kengo

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