資本主義社会における正しい人情漫画

鈴木みそ,
「銭」壱巻,
ISBN 4-7577-1541-2, \620
Beam Comix(エンターブレイン),
2003.10.6 第1刷.

 私は「中の下」の教師である。かような評価を学生諸君から頂いているのである。最近はどこでも学生さんにアンケートを取るようになってきており,自分の講義がどの程度の人気を勝ち得ているか,ちゃんと教師に届くようになっている。私の場合は,全ての指標が平均値をちょっと下回っており,3段階評価であれば「中」なのだが,もう一段階微視的に見れば「中」の「下」ということになるのである。
 もし,現段階で大幅な人員整理(リストラとは言うまいよ)が行われ,教師の人数を半分に減らす,という事態になった時,その判断材料が学生さんのアンケートのみ,ということになれば,私は多分,クビになるのである。ま,実際には人件費カット目的ということになるのであるから,私よりもっと高い給料を取りながら学生のアンケート最悪という人もいない訳ではないので,そう簡単には身軽になれないだろうけど・・・甘いか?
 教師の中には,学生さんのアンケートだけで,自分の教育スキルを判断されてはたまらない,という声も根強い。確かに人間相手の商売(という認識のない教師は論外)であるから,「良い講義」と一言で言っても,それがどういうものかを数学用語のようにきっちり定義するのは難しかろう。だからといって,「黒板の字が読みとれるか」「学生の理解度を認識して講義を進めているか」「よく分かるかみ砕いた説明をしてくれるか」・・・といった項目が最悪であるような講義が「良い講義」であるとは到底思えない。「良い講義」という集合を考えると,「学生さんのアンケート結果が平均値以上の講義」をほぼ100%は含んでいる筈なのである。もしごくわずかの例外があるとすれば,それはせいぜい「徹底した反面教師の講義」ぐらいのモンだろう。
 従って,「良い講義」をしたいと願うのであれば,学生さんのアンケート結果を引き上げるように粉骨砕身,努力しなければならない。しかしそれは教える内容のレベルを下げることを意味しない。授けるべき知識を提示する方法を,学生さんに合わせて適切に選択し,限られた講義時間で完結するように工夫すること,それ以外にはないのである。問題は,そーゆー工夫をする能力を持つ人間はごく限られている,という点にある。私もそれなりに(ゴメン)努力しているつもりなのであるが,どーもうまくいかずに「中の下」を彷徨っている。どうやら才能に欠けているようなのである。教師になって10数年,ようやっと自分の能力が分かりだしたってのが情けないよな。といっても自分としてはこの商売が気に入ってるので,自分から放棄するつもりもない。でも「良い講義」をしたい。どうすればいいか。
 勉強するしかないのである。「良い講義」を目指すバーチャルな学生さんとオノレを自覚し,自分よりも優れた教師の真似をし,技法を学ぶしかないのである。私が寄席に通うのも,同世代の噺家の話芸を盗んでやろうという向学心の現れなのである(うそつけ)。
 しかし私は教師であって,のべつまくなし学生さんから笑いを取る必要はないから,話芸の中のギャグの部分には余り興味はない(たまには使うけど)。むしろ,噺のマクラにおける論理展開や,地噺の中に挿入される「地」の入れ方,といった所を参考にしたいと念願している。小三治並みの名人芸である必要はない。むしろ,耳からすっと入って言葉がそのまま脳細胞に定着するような,声の通る若手の噺家の方が,講義への応用は容易い。
 で,「銭」である(やっとかよ)。一言で言って,これは「良い講義」の良いお手本である。著者の持つ,読者に分からせる能力の高さは,既に「マンガ 化学式に強くなる」(ブルーバックス)で証明されているが,本書でもそれが遺憾なく発揮されている。では本書は単なる優れた学習漫画か?というと,それも違う。これについては後述するとして,まずは「中の下」教師が感心した部分を抜粋してみよう。
 本書は,日本社会で金がどのように回っているかを解き明かす目的を持っているようだ。これは資本主義の仕組みを下から辿っていく作業になる。例えば,交通事故の賠償金はどのように決まるのか(第壱話),とか,漫画雑誌はどうしてペイできているのか(第弐話,第参話),とか,アニメーターの給料は何故低いか(第四話〜第六話),とか,コンビニでタバコを販売するにはどうすればいいか(第七話〜第拾話),など。そのうち,漫画雑誌にまつわる話では,若い編集者に経理担当者が,ペイできる漫画雑誌の部数を説明する場面が登場する。そこで,実際に支払い可能な原稿料を算出する話が出てくるが,その部分の論理展開を見てみよう。
 まず,仮の実売部数を二万部と設定し,そこから総収入を算出させる。これはすぐに一千万と分かる。馬鹿でも分かる。しかし,編集者には公称部数と勘違いしたようで,そこを経理担当者は「返品分を除いた量のことです!」と訂正する。こうすることで,数は少ないかも知れないが,「公称」と「実売」を取り違える者に気が付かせるという効用がある。まずはよし。
 次に経理担当者は,作家の原稿料の平均を仮に二万円と設定して,五百ページの雑誌を作るには,原稿料だけで総売上が消えてしまうことを述べる。しかし,原稿料は五千円〜二十万円と幅が広く,編集者が使おうとしていたベテランが多くなると,もっと酷いことになる。この事実は,基準となる総収入が提示されていて,初めて明らかになる。この話の最初で編集者が編集長に怒鳴られる場面が描かれているが,その理由がここで合理的に説明される訳だ。
 その後,原稿料以外の経費を計算し,流通・書店の取り分をさっ引いて,じゃあ残った分で原稿料を支払うとすると,一枚当たりいくらになってしまうのかという計算をし,二千八百円とはじき出す。これでもう一度,ベテランの原稿料を支払う無謀さを知ることになる。
 つまり,著者はかなりねちっこく重要なポイントを描き,論理展開が読者の頭に自然と定着するように漫画を構成しているのである。こういう点は,教える内容を理解しすぎていて,ねっちりとした説明をはしょってしまう若手教師は大いに参考にすべきである。一つの結論を導く複数の論理展開を提示する,という手法は,重要な事柄を定着させるには有効である。時間の関係でそこまで手が回らないことも多いんだけれどね。
 このように大変良い講義の見本のような漫画なのであるが,鈴木みそが優れているのはそれだけではない。本書に収められているストーリー全てが,ちょっとこそばゆい人情話に仕上がっていること,そして,全編CGを使って描かれているにもかかわらず,全ての線がものすごく肉感的であることが,この漫画の魅力を高めている。ことに後者については,これだけCGが普及したにもかかわらず,いまだに画一的な画像しか提供できない漫画家(高義に言わせると,少女漫画が特にヒドイそうである)がいる中で,鈴木みそと一目で分かる画風を提示していることは賞賛すべきだ。私は特に女性の魅力が際だっていると感じるのだが,それは線の持つ肉感性が魅力を増幅しているせいなんだろう。
 私は前作からようやっとちんげ教信者になった新参者であるが,やっぱりWebページよりも本業の仕事の方が面白いことを改めて認識した。本書は明日の活力を与えてくれる,優れた銭の本である。そして,「中の下」教師にとっては,大変役に立つ「学習漫画」でもある。問題は,エンターブレインの雑誌を支えるだけの利益を本書が稼ぐことが出来るか,である。「銭」の本が売れないようではギャグにしかならない。連載と単行本発行が続くよう,クビになるまでは買って読み続けますぜ,教祖様。


by T.Kouya

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