やおいと学問のきまじめな肉体関係

よしながふみ,
「1限めはやる気の民法」,
ISBN 4-88271-813-8,
ビブロス,
1998年7月10日 第1刷,2000年6月23日第3刷.

 お初にお目にかかりまーす。二庵寿猫(にぁん じゅねこ),略して寿猫と申します。ヘボ絵なマンガ描きでしたが,マンガでは一向に芽が出ないまま三十路を超えてしまいましたので,ブンショーで再復帰を果たすことに相成りました。主としてエロ,男×男,女×女,もちろん男×女,女×男もおとりあつかい致します。やばそーなものは全部私がまとめてめんどーみましょー,っつってもホントにハードなものは受け付けない体質なので,ソフトなものを主体に読んでます。ゲイじゃないので,自分の同じイチモツがどーんと提示されても・・・ねぇ。男×男ものについては,あくまで少女マンガの延長上として楽しむことのできる絵とか作品に限られますのじゃ。男と女のお話でも,ほら,よく監禁ものとか緊縛ものってあるでしょ。それも痛々しくてね,今では幸せな両者の合意に基づくせっくすだけを鑑賞するに至ってます。よわくてすまんす。
 昔はBE×BOYとか花音とかルチルとか,欠かさず買っていたものですが,さすがにねぇ,男同士のケツの穴せっくすのオンパレードでは,こちらもいい加減,すれっからしのオトナですので,飽きちゃうんですよ。ノーマルな男と女が絡んでいるエロマンガだって,「実用」になるのはせいぜい高校生から20代前半ぐらい。話があまりに単調,というかせっくすだけ,というのではいくらなんでも楽しめなくなります。たまーに白いどろどろ液を排出したくなっても,「使用」するのは3Dのリアルおねーちゃんの写真とかAVでございましょう。人は○ん○んやお○ん○だけに生きるにあらず。特に30を越えてつくづく分かりました。いやまあ,いくつになってもそれさえあればいいって人も中にはいらっしゃいますけど,ね。
 そんなわけで,わたしは最近の「やおい」「もーほー」関係の動向をよく知りません。未だその関係で続いているのは,近年新書館からコミックスが出るようになったえみこ山さん,とか秋田書店の少女漫画誌出身の真東砂波さん,門地かおりさんとか,今回取り上げるよしながふみさん,ぐらいです。よしながさんは,作品がドラマ化されたこともあって,一気にメジャー路線を突っ走りそうな予感がありますね。つい先日も「メロディ」(月刊,白泉社発行)に短編が掲載されてましたね。これがまた面白いんだあ。ほんと,「メロディ」や「フラワーズ」(月刊,小学館),「アフタヌーン」(月刊,講談社)を読んでいたら,文学なんていらないんじゃないかというぐらい・・・と高義がいうております。
 つまり,話が面白い人,独特の雰囲気が気に入ってしまった人の作品だけを未だ単行本で購読し続けている,という,まあ,やおいを語るにはひじょーにお寒い状況な訳です。ということで,以下に書くことはかなりいい加減なところがありますので,あらかじめご了承下さいまし。

 やおいの基本は「受(うけ)」と「攻(せめ)」です。前者が所謂,女性役(というていいんかな・・・つまり「やられる」側です),後者が男性役(男同士だからこういう言い方も何ですな・・・つまり「やる」側)。人気メジャーマンガやアニメの主人公やサブキャラ同士を「受」と「攻」に振り分け,どうやって絡ませるかやらせるか,ということに血道を上げるマンガや小説を書くおねぇさんがたがわんさといると思いねぇ。そーゆー方々がコミックマーケットをはじめとする数多の同人誌イベントに参加されておる訳です。
 むかぁし,少年ジャンプに「キャプテン翼」というマンガが連載されていました。アニメ化もされました。そしてそのマンガの「やおい」パロディマンガもゴマンと出現いたしました。そこでは「小次郎×健」派と「健×小次郎」派が激しく火花を散らしていたのです。これ,単なる順序の問題ではなく,どちらのキャラが「受」でるか「攻」であるか,という極めて深刻,かつイスラエルとパレスチナの対立並にお互いの意志疎通ができない厄介なものなのです。
 あ? 嘘つけ? 嘘じゃありません。この「受」と「攻」は「やおい」にとっては存在理由そのものと行っても過言ではありません。
 だってそーでしょ? これは言い換えると「好き」と「嫌い」の対立なのですよ。極めて個人的な価値観同士のぶつかり合いなのです。そりゃあ易々と関係修復出来る方がおかしいっす。そんなに「受」と「攻」が異なる相手を簡単に理解出来るんなら,それは愛が足りないからに他ならない。和解させようなんて甘っちょろい考えは即座に捨てましょう。大体,対立しているからこそ,おもしろいんじゃぁありませんか。ね?
 で,本題に戻りますが,この「1限目はやる気の民法」の主人公田宮ってば,典型的な小次郎タイプだなあと思う訳です。性格はごく真面目で,帝能(低脳?)大学法学部に在籍中。進路は法曹関係を目指し,ぐうたらな連中の集まる龍本三郎ゼミにあっても司法試験の勉強を怠らない人。一本気で不正なんて聞いただけで気分が悪くなるという,パッションの固まりのような彼は,「いぢめたい」キャラとして創作されたとしか思えません。そして,その予測通り,代議士の息子という遊び人藤堂に「攻」められる・・・という,まあよしながさんてばやっぱり小次郎「受」派だったのねぇと勝手に連想してしまいました。
 何を言いたいかというと,つまりこの作品の男(藤堂)×男(田宮)の関係は「やおい」という「受攻」の構図がちゃんとある,ということなんですね。掲載紙がBE×BOYだから,あたりまえっちゃー,あたりまえですけどね。だからこそ「やおい」な方々は燃える,逆にいうとこの関係が読み取れない作品には燃えないわけです。・・・ってかなり偏見かなあ。

 でも,この作品,藤堂と田宮のくんずほぐれつがなくたって,十分,面白いんですよ。だってね,わたしゃ理系のボンクラ大学出身だから,文系の法学部なんて全然知らない。そーゆー読者にも,法学部では「ゼミナール」ってどういう位置付けでどのように行われるのか分かるように,ちゃんと解説してあるんです。途中,代理でゼミを担当しに来た池田先生とのちょっと危ない関係だって,やられてしまう田宮だけを描いていればいいものを,そこに至るかなり真面目な学術論争なんかもちゃんと書いてたりして。つまり,やおいまんがならいい加減に描いてしまいそうな,ストーリーの展開をちゃんとこの主人公の田宮のよーに「真面目に」筋道立って読者に説明してくれているんです。
 田宮と同じゼミの真面目学生仲間の寺田さんのエピソードに至っては,やおいどころか一般誌に載る短編ストーリーですよ。この寺田さんのカッコよさ,少し年上の女性がターゲットの雑誌に載ればかなり共感してもらえるのではないでしょーか。男の私が見ても,カッコいいもんね。反省しなさい,三田先生。
 結末の,ボーっとしたおじいさんかと思っていた龍本先生のスカッとする決断が,ちゃんと物語のオチを付けているということもあって,わたしゃ,全体のやおいっぽい印象がだいぶ薄らいでしまいました。単なる二人の友情物語としても成立しているお話ですよ。これ。
 とどのつまり,やおいの関係はBE×BOYに掲載するための免罪符であって,作者の描きたかったのって,もう「やおい」以外の方を向いていたのかな・・・そういう作品でございます。民放がドラマ化したくなる面白い物語を綴っていく才能が迸り始めた頃の良品といえるでしょうね。個人的にはこのあとに出た「ソルフェージュ」(芳文社)のほーが好みだったりしますけど。

 あ,ちなみに,わたしはまだそのドラマも見ていませんし,原作も読んではいないんですよ。まだ。つーか,その辺についてはわたしじゃぁなくって,高義あたりに語ってもらいたい内容ですよ,きっと,ね。
 せっくすをたくさん集めた雑誌から,とてつもない才能が飛び出すことがある,って語っていたのは,だれだったっけ? やおいについてもおんなじことがいえそーです。彼が「攻」で彼が「受」,わーきゃーすてきぃ,というノリは,ある種の人たちにはとてつもない創作意欲を沸かせるエネルギー源になり,「受」と「攻」をたくさん描いているうちに,気が付くとそことは違う世界に移動していました。そこがメジャーな方向なのか,マイナーな所なのか。変わっていく自分とそこから生み出される作品の到達点は,自分の意志だけで決定することが可能なんでしょーか。よしながさんが意図して現在の地位にあるのが自律的なのかそーでないのかはわたしにはわかりませんが,兎にも角にも今は上り調子であることには間違いないこってす。これから先,どんなふーに変化していくのか,これから先がとても楽しみな作家さんの一人です。


by June Co.

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